三秒間の宇宙旅行

「サド」

 彼女だけが使う呼び名。
 伏せていた顔を上げれば、迎え撃つかのような強い眼差しが俺を待っていた。
 透き通ったまんまるの瞳は、いつか彼女と駄菓子屋で飲んだラムネの中に転がっていたビー玉を思い出させた。

 締めつけられて引き裂かれそうになる心臓と感情。それらをなんとか押し殺して、「なんでィ」と小さく返した。

「私がもし、ずっとここに居れたら」

 私とお前、結構仲良くやっていけたと思うアル。恋人ってヤツにもなれたかもネ。
 彼女が今まで俺が見たこともないような憂いた表情で笑うから、どういう反応を返したらいいか迷った。
 俺もそう思う、と返したところで何かが変わるわけでもない。

 俺とお前が恋人同士。
 ははっ、似合わねーの。
 そんな美しい未来、何処にも残されちゃいないのに。

 留まることなく行き交う人ごみの中。ターミナル中央、入口ゲート手前。
 今まさに昼ドラ最終回のような別れを演出しようとしている俺たちがそこにいた。

「ひとつ、頼み事してもいいアルか」
「おう」

 俺 が頷くと同時、彼女は背負っていた荷物と傘を待ち合わせ室のソファに投げ込んだ。
 首を傾げる俺の手前、彼女はキツく結んでいた口許を緩める。

「ギュって、して」
「  っは――、」

 ぽかんと半口開けて固まる俺。周りの喧騒とかざわめきとかが一瞬で消え去るほど、彼女の言葉の破壊力は絶大だった。
 呆ける俺の前で彼女は唇を曲げた。ニシシッと、久方ぶりのガキ笑いを見た。

「餞別ってやつアル」
「お前、餞別っていう単語辞書で引いてこい。そしてアンターライン引け」

 餞別っていうもんは普通、お前が俺に寄こすもんだ。ああ言っとくけど酢昆布なんていらねーぞ。
 そう言ってやれば「神楽様からのハグなんて滅多にやらないんだからな。光栄に思うヨロシ」と何とも上から目線の言葉。

「まァ、もらえるモンはもらっとくか。全然光栄じゃねーけど」
「素直じゃない奴ネ」
「馬鹿言え」

 彼女が広げた両腕を俺に向けて、青の双眼でこちらを見上げる。さあ抱き締めろとばかりに。最後の最後までなんとも色気のないヤツ。
 ゆっくりと俺も腕を伸ばして応える。
 俺よりも幾分か小さいその体躯を引き寄せれば、相手は勝手に抱きついてきた。いや、抱き締めてきたの間違いか。

 コレは抱擁なんて甘っちょろいもんじゃない。文字通り、『抱き締める』だった。
 肉や骨が引き千切れそうなくらい馬鹿力で抱き締められて「うぐっ」と呻いた。
 オイてめー俺を殺す気か。ちったァ加減を利かせろよ馬鹿チャイナ。
 このまま俺だけが苦しいのもアレなので、負けるかとばかりに俺も強く強く彼女をこの腕に閉じ込めた。ブラブラとチャイナの足が宙に浮くほどに。

 どれくらい、こうしていたのか。
 一時間もの長い間だったようにも感じられるし、三秒にも満たない間だったとも思う。
 三秒間、宇宙の無重力に漂うように地面から数センチ浮いていた彼女は、今まさにターミナルの床に墜落する。
 俺たちの身体が離れる瞬間、涙で溢れる表情を真正面で見てしまって。この苦しい圧迫ともお前とも本当にお別れであることをハッキリと自覚してしまった。
 ちくしょう涙腺が痛い。

「おきた、」

 舌っ足らずの、今にも泣いてしまいそうな震える声でその名を呼ばれる。
 濡れた睫毛を覆い隠すように、真っ白な両手が彼女の眼を拭った。
 そのあとに続いた、たった二文字の言葉は、今の俺にはあまりにも。


#原作
三秒間の宇宙旅行 '100919
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