花がまばたく、吐息が綻ぶ


「すみません、遅れました」

 待ち人は遅れてやって来た。
 目の前でぺこりと頭を下げた妙に、おや、と銀時は目を細めた。妙はふぅふぅと荒い息をしていた。その上、じわりと額に汗を滲ませていた。女は走ってやって来たようだった。

「ずいぶん待ったでしょう?」
「・・・いーや、」

 申し訳なさを伴った響きのある妙の問いかけに、待ってない、とだけ告げて銀時は顔を背けた。嘘だ。ずっと待っていたのだ、本当は。一時間待ってたんだけどコノヤロー。とは、心の中だけで呟いた。
 つくづく、自分はこの女に甘いらしい。
 本来ならば、一時間も待たせられたことを抗議してやりたいのだ。
 だが眉をへの字に垂らした顔を前にした途端、言うべき言葉は飲み込まれてしまった。
 俺も今来たところだから、と、白々しい嘘が銀時の口からボロボロと零れていく。

「ねえ、銀さん」

 焦った調子の声音で名前を呼ばれて目をやると、腕時計と睨めっこをしていた妙がちょうど顔を上げるところだった。

「ちょっとだけ走りましょうか」
「えー」
「えー、じゃありません」

 もう一度、妙が腕時計を一瞥する。それから「急がないと、もう映画始まっちゃいますから」さあさあ行きましょう、と、急かすように妙の手のひらが銀時の背中をぽんぽんと叩いてくる。

「次のヤツ見ればいいだろ」
「今のを逃したら、次は夕方になってしまうんですよ」
「ったく、これもどっかの誰かさんが遅れたせいで」
「何か、おっしゃいました?」

 なぜだろうと、銀時は思う。にっこりと微笑まれているはずなのに悪寒しか感じない。
 あ、いやなんでもないですマジで、すんませんでした。あらそう、じゃあ急ぎますよ。
 フッと微笑んだ妙が、歩調を速めて小走りになる。仕方がねえなあと、渋々だが銀時も妙の横に並ぶようにして走り出す。

「俺としては、できればゆっくり行きたいんですけど」
「あら、老化ですか」
「バッカ、おめっ、違ェわ!」
「え?でもその白髪・・・」
「元々ォ!オネーサンそれ元からだから!俺はまだ二十代だっての!」

 慌てて銀時が横を見やると、冗談ですよ、と、からかいの色をした妙の瞳が見えた。
「まだ二十代だって言い張るおつもりなら、頑張ってくださいな」そう言って、妙がふわりと微笑んでみせた。
 む、と思わず言葉に詰まる。
 その微笑みはたしかに銀時に気力を与えてくれたのだが、それを口に出すのはなんだか惜しい気がして、結局言葉は舌先にわだかまる。
 いつものことだと、銀時はうな垂れる羽目になる。いつものことだ。こうやって、思い浮かんだ言葉を素直に声にできないのは。

「つーか、珍しいな」
「え?」
「今日のお前。珍しいよな、遅刻なんて」

 映画館までの道のりを急ぎながら、ふと考えたことを口にした。
 いつもは時間通りにテキパキと、なんでもかんでもこなしてしまうこの女が遅刻だなんて。珍しいことだろう。
 何かあったのかと聞けば、妙は当て照れ笑いのようなものを浮かべてみせた。

「ええ、どうせなら、可愛くありたいじゃないですか」
「・・・?」

 まるで、秘密を囁くような声だ。可愛いって一体何がだと、銀時がいぶかしむ目を向ける。と、拗ねたような表情の妙がそこにいた。
「まァ、銀さんなんかには、わからないかもしれませんけど」と、失礼な物言いをされる。

「デートは、どんな女の子だって可愛くありたいものなんですよ」

 だから時間が必要だったのよ。と、妙が言う。
 銀時は思わず、足を止めてしまった。妙の足も止まる。二人して道端で向かい合う。まじまじと銀時は妙の方を見つめたまま動けなくなった。
 なぜだかは知らないが、妙の目じりは赤い。

「それ、どういう意味」
「・・・まだわからないんですか」

 呆れたわとでも言うように、むっと妙に膨れっ面をつくられ、銀時はみじろいだ。

「待たせてしまったことは、悪かったと思っていますけど」

 でもね、折角のデートじゃないですか。
 妙の顔が俯いて、銀時にはその顔が見えなくなった。隠し切れない耳だけが赤く染まっているのがわかった。

 私だって、銀さんが相手じゃなきゃこんなことにはなってませんから。こんなに念入りに準備するとは私も思わなかったんですから。と、だんだん小声になって消えていく、ブツブツとした妙の呟き。
 銀時はそれを、目をまるまると丸くしながら聞いていた。
 同時に、色々なことを銀時は思った。
 たとえば道端だろうが往来の中であろうが、そんなもん構わずに今すぐ子の場でこの女を抱きしめてもいいだろうか、だとか。
 もしくは今すぐこのとてつもなく可愛い女にキスの嵐でも降らせてやろうか、だとか。



 こうやって、二人で何処かへ出かけるのは初めてのことではない。
しかし、『デート』という名目で何処かへ出かけるのは、きっと、これが初めてかもしれなかった。


 普段は必ず、どちらかが、「あら偶然ですね」とか「偶然だな」とかわざとらしく言ってみせて。道端でバッタリ『偶然』ふたり一緒になって小道を歩くことになったりして。それが『普通』だったのだ。

 だから、今度のように、銀時が映画のチケットを持って妙の元を訪れて。時間を決めてこうやって待ち合わせたこれは、まさしく正真正銘のデートだ。

 そのときふと、何かが銀時の胸の中にストンと落ちてくる。そんな感覚がした。かと思えば、どうしようもない気恥ずかしさが銀時を襲った。
 なんだこれ。
 何だ、これは。
 体の奥、それも心臓の奥の、やわらかい部分をジクジクと大きな何かが銀時の中で疼く。
 焦ってキョロキョロと逃した視線は、隣にいる妙に捕えられた。
 絡み合った視線の先で、妙は何を思ったのか銀時に微笑みを寄こしてきた(ジクジクと、)(さらに心臓のあたりが疼いた)。

 つまりは、ただれた恋愛ばかりの自分にデートなんて言葉は慣れていないのだ。

「・・・お妙」
「はい?」

 久しく呼んでなかったと思う、女の名前。
 声に出してみると、妙の目が、唇がやんわり緩んだ。
 この見る人すべてを温かくしてしまえる微笑みが、銀時は好きだ。

「さっさと行くぞ」
「ええ」

 このままじゃ本当に映画が始まっちゃいますものね、と妙が頷く。
 二人とも止まったままだった足を動かして、しかし、銀時の方はすぐ立ち止まる。
 わざとらしく、今まさに思いだしたかのように「あ、オイ」と銀時が妙を呼び止めた。
 どうしたんですか、と首をかしげる妙の声を聞きながら。「ほら、」と、(急ぐぞ、という意志を示すために)(別に他意なんてない)手のひらを差し出す。
 妙が困惑したように眉をひそめる。銀時の顔と手とを交互にチラチラと見比べる妙に、なにしてんの、と銀時が声をかける。

「なんだか変だわ、って」
「なにが変だって?」
「なんだか、今日の銀さんは優しいのよ」
「・・・・・・銀さんはいつだって優しいつもりですけど」

 そうだったかしらねぇ、と、とぼけた風に笑う妙にそうだろ、と返す。
 お妙にとっての「銀さん」はいつだって優しいのだ。否、優しくなってしまうのだ。どうしても。

「俺は優しいだろ、いつも」

 やがて、銀時の手のひらに何かが触れる。
 銀時のそれよりも幾分か小さくて、何倍もやわらかい手のひらにそっと手を握られる。
 その手を握り返しながら、何度も、何度も口先で反芻して繰り返す。俺は優しいと。
 俺は優しいのだ。ただし、お前限定で、と言葉が続く。
 しかしその言葉もまた、いつものように声にならずに喉の奥に滑り落ちてしまったのだが。


#原作
花がまばたく、吐息が綻ぶ '101231
title 誰花
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