冬物語

 路上のアスファルトは真白に塗りつぶされてしまっている。
 昨日の昼間に巡回したときは、ここら一帯の地面は斑模様を描いていたと沖田は記憶している。つまり、昨晩の内に降り積もったということだろう。これから先の一週間、天気予報では江戸全域に雪マークがついていたはずだ。大雪になったら巡回も中止にならねえかなあと、ひとりごちた。ざくざく、一面に広がる雪に足を取られないように気を付けながら、靴で強く踏みしめて道端を歩く。
 それから少しして、異色の髪色と目に痛いほどの黄色のコート。目を惹かれるその後ろ姿を沖田が見つけたのは巡回ルートから大きく外れた場所であった。
 ひょこひょこ、雪に慣れていないのかなんとも頼りない足取りが沖田の数歩先を行く。右に左にフラフラと、揺れる小さな背中をぼんやり眺めていると、なんということか。うっかり可愛らしく思えてしまって。普段のアイツを忘れかけた。

「オイそこの、」
「!」

 いきなり声をかけられて驚いたらしい、振り返った神楽の目はまるまると見開かれていた。それと、しもやけのせいか林檎みたいに目元や鼻が赤い。

「そこのマフラー怪人さん」
「誰のことアルか」
「オメーのことだチャイナ、いや不審者の間違いだったか」
「雪玉投げつけられてーのかヨ、お前」

 不服だとばかりに神楽の眉間に皺が寄る。よほど寒いのかは知らないが、真っ赤なマフラーに顔の半分ほどをすっぽり埋めた少女の出で立ちは、まさにマフラー怪人という名前が相応しいと沖田は思ったのだ。神楽本人は気に入らなかったようだったが。
 赤林檎の頬がむすっと機嫌の悪さを形づくり、隠しもせずに(むしろ聞いてくれと言わんばかりに)盛大な舌打ちが聞こえてくる。「あーあ嫌な奴に会っちまったネ」とも言いたげな顔だ。なんだなんだ、こっちだって同じ気持ちだってのに(じゃあなんで、俺はコイツに声をかけちまったのか)。
 ガサリという無機質な音がハラハラと頭上から落ちてくる雪に紛れた。音がしたのは神楽の方からで、彼女の両手にはコンビニのビニール袋がぶら下がっている。

「肉まんアル」
「ふうん」

 視線に気が付いて神楽がコンビニ袋の中身を告げる。にやぁと、マフラーに埋まった口端が上がった。

「肉まんヨ。いいでしょ」
「いや別に」
「物欲しそうな顔アルな」
「いやだから俺は」
「ムフフあげないヨー」
「………」

 こちらが欲しいなんて一言も言ってないくせに得意顔をされる。沖田は無言でポケットに入れたままだった冷たい両手を取り出して、「ぎゃあああァァアア!」近づいた神楽の首にピタリと当ててやる。
 うぎゃあなんて色気のねえ声でさ、と、哀れみを込めて言ってやる。別に色気のある声を期待していたわけでもないけれど。マフラーの中に差し込んだ沖田の両手が、じんわり神楽の熱に溶かされて熱を孕む。

「ってめ、何しやがるネ、コラァ!」
「おっと」
「避けんなヨ!」
「避けるだろ普通。つーか、最初に喧嘩ふっかけたのはそっちだろィ」

 神楽の拳が飛んでくる前に、パッとマフラーから手を取り出して回避する。途端、外気に触れた両手が再び冷えてゆく。神楽が恨めしそうに、沖田の斜め下からヤンキーみたいな視線をくれる。

「もう、お前ホント死ねヨ」
「お前が死ね」

 雪が舞い上がる視界に飛ぶのは、いつもの常套句。挑発とも言う。お互いにひそめた眉がピクピクと痙攣する。上等アル、上等だ、と二人の心の声が重なった。しかし喧嘩にはならなかった。今回ばかりは。
 神楽の手には肉まんがある。沖田も雪の中を転がったり飛んだりするのは勘弁だった。握りしめて振り上げられた拳はゆっくりと下ろされて、沖田の両手は手持ち無沙汰になる。

「じゃあなチャイナ、せいぜい肉まん食って体力つけときなせェ」

 次会ったときは決着つけてやらァと、相手の都合なんて考えずに口約束を取りつけて、両手を隊服のポケットに戻す。ああ寒ィなあ、誰に言うでもなく呟き、早々にこの場から切り上げようとする。

「ちょっと待つヨロシ」
「勝負ならしねえけど」
「違うアルそうじゃないネ」

 私だって寒い中わざわざバトりたくないアル、神楽が口先を尖らせる。「あのね、」神楽はかじかんで指先が赤く染まった手でグシグシと鼻下を擦ってみせる。指先の赤みが鼻下にも広がる。あのね、と神楽の唇がもう一度繰り返す。

「これ、おつかいアル」
「使い?」
「うん、おつかい。頼まれたアル、これ」

 そう言って、神楽の手が肉まんの袋をそうっと掲げる。おそらく三人分すべて肉まんなんだろう。旦那はあんまんの方が好きそうだと沖田は内心で想像する。けれど、神楽が買ってきたものなら、旦那は文句言わずに食ってやるに違いなかった。

「おつかい、ねェ。ガキくせえ言い方だなァ」
「うるさいばか。……うん、それで、」

 ガサゴソと袋を漁る音。神楽は肉まんのひとつを取り出すと「あとのふたつは銀ちゃんと新八の分ネ」と言いながら、パカッと肉まんをはんぶんに割った。「ん、」ズイッと肉まんの片割れを沖田に突き出してきた。

「……ええと、なんですかィコレは」
「なんで敬語アルか」
「いやこっちが先に聞いてんだろ、何だこれ」
「肉まんネ。お前にあげるアル」
「あ、いや俺は、べつに、」
「だーかーら、これは銀ちゃんや新八の分じゃないネ。私の分アル」

 今のは沖田が遠慮しているように思ったゆえの言葉だろう。とんだ検討違いである。そうじゃなくて。

「はんぶんこネ」

 にしし、丸い目を細めて笑うから。その笑顔を眼前にして、どういうわけか、断るために用意しておいた言葉は何処かへ消えた。目の前の笑顔は、可愛げなんてこれっぽちもないガキの笑顔だった。可愛くなんてない、はず、なのに。

「……どーも」
「もうちょっと感謝の気持ちを込めろヨ」

 ありがとうございます神楽様って言え、などと傍から聞こえてくる声を無視して、はぐと半分に割られた肉まんに食らいついた。
 ああちくしょう。半ば自棄にやりながら、本日二度目だ、と沖田は数えてやった。
 一度目は、雪の中をふらふらするその小さな姿を見たとき。二度目は今の笑った顔を見たとき。
 可愛い、なんて思ってしまったのは。


#原作
冬物語 '110105
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