眠れるまで好きを数えてあげる
おたえ、と己の名前を呼ばれた。どきりと心臓が跳ねるのを自覚しながら、ああ知らなかったと心中で呟く。知らなかった。自分の名前がこれほどまでに愛しい響きを持つなんて、妙は知らなかったのだ。「銀さん、どうしたの」
呼びかける妙の声に呼応するかのように、お妙、と声はさらに繰り返し鼓膜を揺らしてくる。甘ったるい声と腰に回された腕のせいも相まって、胸を打つ鼓動はさらに加速するばかりだ。このままではとても集中できたものじゃない。仕方なく、畳の上に広げた洗濯物を畳む手を休める。
どうしたんですか、気分でも悪いんですか。背中伝いに問いかけてみる。返答はない。
数秒置いてからようやく、「なんでもねー」返ってきた返事は掠れてしまっている。これのどこがなんでもないというのだ。妙は心中でため息をつく。
妙が知る限り、さっきまでの銀時はテレビの前でグウタラ惰眠を貪っていたはず。その名残なのか、寝転がっていた体勢のままずりずりと畳を這って、銀時は妙の腰に抱きついてきた。妙が後ろに首を捻ると、ふわふわした銀髪が自分の腰にぐりぐりと押しつけられているのが見える。
止めてくださいセクハラで訴えますよ。おいこら離せ天パ。そうしていつでも殴ることはできるが、それはできそうにない。
「お妙」
「はいはいなんですか」
妙から見た今の銀時は、今にも消えていなくなってしまいそうに脆く、「おたえ」さらにもう一度、妙を呼ぶ声は泣きそうだ。こんな状態の男を見たのは初めてであり、流石の妙も戸惑いが優先して殴るための拳は用意できずにいた。
後ろに伸ばした左手は打撃ではなく撫でる役になる。
さらさらと、手を差し込んだ銀色の先からフワフワした心地が手のひらをおおう。
「あなた、いつまでこうしてるつもりですか」
「悪い、もうちょっと、」
このままで。たのむからおねがいだから。離してくださいとでも言われると思ったのか、抵抗するように力が込められる。ぎゅうと腰まわりに訪れる圧迫は痛みすら感じるほど。そんな子供の我が儘のような銀時の一連の行動に妙は呆れ返りたくなる。
馬鹿じゃないかと思う。
突き離してしまおうなんて、こちらは微塵も思っちゃいないのだ。
「離してください、なんて言いません」
「じゃあなんだよ。セクハラの賠償金でも請求するつもりか」
「あら。それもいいかもしれませんね」
「……お前ってほんと、いい性格してるわ」
不意に、妙にしがみつく腕の力が抜けて、押し付けられていた頭が離された。妙の体が自由になる。首を捻る妙を見据えた銀時が、「じゃあ、お前は何が言いてェの」と目を細める。その細められた瞳にある翳りを、妙はしっかりと気付いているけれど、素知らぬ振りをしてやった。
「怖い夢でも見ましたか」
「見たらどうだってんだよ」
肯定はない。ただ否定もされなかった。ああやっぱり。妙はもう一度、銀時の頭を撫でた。するとまた、妙の腰に腕が巻きついてくる。
「甘えてるんですか」
「ばっか、甘えてなんかねーよ」
甘えてねえよ、これはアレだ、愛情表現。なんて言い訳を並べながら、再び銀時が妙の背中の辺りに顔をうずめる。
悪夢にうなされたあとの汗べったり顔でそんなことを言われても全く信用できないのに、と妙は思った(強がらないで甘えてほしかった)(強がりなんて不器用なあなたがするもんじゃないのだ)。「ねえ、銀さん」背中へ呼びかける。さっきは、離してくださいなんて言わない、って言ったけれど。
「やっぱり離してください」
「……え?」
戸惑ったような銀時の声。しかし、それを聞こえないふりして妙は無理矢理、銀時の腕を腰からほどかせる。
「おまっ、それはねーんじゃねェの。冷たくない?酷くない?」
てっきりこのまま妙の背中に抱きついていられるものと思っていたのだろう、銀時が不服そうな声を出した。
だがそれも、妙が振り返るまでの話だ。
「だって。その位置から抱きつかれていたら、私は抱きしめ返してあげれないもの」
ねえそうでしょうと同意を求めてやると、向こうはぽかんと大口を開けて、唖然、みたいな顔をしている。そんな銀時の前に、パッと妙が手のひらをさしだす。
さあ、どうぞ。今だけは甘やかしてあげます。
#原作
眠れるまで好きを数えてあげる '110110
title 彗星03号