そして私たちはキスをする、青い青い世界の中で



「なあ、寂しかった?」

 長らく江戸を留守にしていた彼がそんな事を聞くので、私はわざとらしくため息を吐いてやる。なんて素っ気ないのかしら。私がどれだけ彼を待ったと思っているのよ。答など、聞かなくとも分かるでしょうに。

「いいえ、そんなに」
「マジでか」

 家の庭からは、雀のちゅんちゅん鳴く声と共に、風に煽られた白い洗濯物がパタパタとはためく音が聴こえる。それらに耳を澄ます私に向けて、ちらり、縁側に座った彼が怪しむ目つきを向けてくる。

「ええ。そうねェ、たしかに辛い時もありましたけど、あの子はあなたにそっくりでしたから。いつもあなたがそばに居る気がして」

 だから、だからね、私はちっとも寂しくなんてなかったのよ。
 私の言葉に、彼はふうんと相槌を打った。細められた目じり。奥にある彼の瞳がじっと私を映す。全てお見通しだと言われてしまった気がした。

「……そっくり、って」
「え?」
「そんなに似てんの、アイツ」
「ええ、本当に。そっくりなんですよ。たとえば、何度言っても玄関の靴をちゃんと揃えないところとか」

 よく寝転がって掃除の邪魔になるところとかね、と。彼を見つめてくすくす笑ってやる。はいはい、邪魔で悪かったですねえ、と彼は決まり悪そうな顔で苦笑い。

「遊び回って身体中泥だらけにして帰ってきたり、私の胸をまな板だの言ってきやがったりするところとか。ねえ、これ全部、銀さんのせいですからね」
「いや、なんで?違うくね?それ俺は悪くないよね、だって俺今まで居なかったもん。責任転嫁だよね、お前の躾の問題だよね?」
「いいえ、間違いないわ。だって、親子だもの」

銀さんの子供なんですから。親子が似るのは当然でしょう。親子だからと、私がその単語を強調すると、横に座る彼が親子ねえ、としみじみといった風に呟く。彼は今、あの子の事を考えているに違いなかった。

 そういえば、庭から居間の畳へ差し込んでくる光が強くなった。そろそろあの子が帰ってくる時間だ。あの子はオヤツを求めて三時頃には必ず帰ってくる。あの子は甘いもの好きなのだ。こういうところも、彼に似ている。

「本当に似ているの。だからよく、日常のふとした瞬間とかに。あなたの姿があの子とが重なって見えてしまって」

 気がつけば、私はゆっくりと瞼を閉じていた。思い出すのは、彼が戻ってくる、少し前の事だ。

 記憶の中の私は、玄関に散らばった靴を見てプンスカ怒っていて、ちゃんと並べないと何処かのマダオになるわよ、とあの子に言い聞かせているところだった。
 あの時、思ったのだ。一足、足りない。誰かが、足りない。
 今よりも頻繁に万事屋を訪れていたあの頃。あの家の玄関の記憶。まあだらしがない。呆れて文句を垂れながらも、自分が綺麗にそろえてやった黒ブーツは何処を探しても見当たらなかった。あの後、私はひとり泣いた。

 ここ数年は、あなたの面影ばかりが私の世界に映っていた気がする。
 その時、隣に居る彼が、うん、と深く頷いてみせた。まるで私の心を読んだみたいに。ツンと鼻の奥が痛くなった。

「それで、あの子が、あんまりにも貴方にそっくりだったから。だから、私は寂しくならずに済んだんですよ」
「俺は、」

 寂しかったんだけどな。
 彼が真顔で言い放つ。彼から見た私は、まるまると目を見開いてさぞ驚いていた事だろう。

「なによ、それ。ずるいわ」

 ずるい、ずるい。
 何度も唇の中で繰り返す。自分だけ素直になるなんて、ずるい。
 いつも心の内をハッキリさせないで、私の欲しい言葉をくれない。それがあなただったはずなのに。どうしてこんな時だけ素直になるのかしら、この人は。ふははっと、困惑する私を見た彼が可笑しそうに笑った。

「もう、いいだろ」

 強がるのは、もう、止めにしようや。お前も素直になっちまおうぜ。
 へへんと強気に言った彼が、私の手を取った。節くれだった男の手に包まれた女の手は、やわらかに握りしめられる。なあ、と、彼はどこか弾んだ声を口にした。

「寂しかった?」
「当たり前じゃない」

 嘘を吐くのが焦れったくなって、二度目の質問には即座にそう答えた。するとゆっくり彼の腕が伸びてきて、身体を引かれて、強く抱きすくめられた。私も彼を抱きしめた。
 遠くの方から、軽やかな足音が聞こえてくる。やがて、ガラガラと玄関の戸を開く音と「ただいま!」明るく元気な声が家中に響く。あの子だった。
 元気だねえと彼がカラリと笑う。くすぐったい息が私のうなじを掠めた。

「ほら、やっぱりあなたに似たのよ。私が小さい頃はこんな元気な声は出せませんでしたから」
「別に、俺に似たとかお前に似たとか、んなことは関係なくねえか」

 たとえ新八に似ようが神楽に似ようが。誰に似ようが、アイツは俺たちの子だ。なあ、そうだろう、と、彼はうんと優しい、それこそ一児の父親の声で私に言った。
 そうね、そう。いくら似ていても、あの子はあなたじゃないものね。
 あの子に彼の面影を重ねるのはもう止めよう、その代わり、私はあの子を愛そう。今よりもずっと愛情を込めて、あの子を愛しましょう。もちろん、二人一緒に。

 彼が私の身体をさらに引き寄せて、唇を押し当てるその瞬間。視界の端っこ。碧い、真っ青に透き通った空が見えて、彼と再会をしたあの丘のことを思い出した。機会があったら、またあの場所へ行こうと思う。その次の瞬間には青い空は彼の顔で見えなくなって、頭の中も彼でいっぱいになってしまったんだけれど。


#原作
そして私たちはキスをする、青い青い世界の中で
title 不在証明
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