いい子じゃなくていいよ
真昼の街道を、手を繋いで一緒に歩いてみたいのだと。それを妙が銀八に言ったことはない。特別扱いしないでくださいねって言うアレも実は建前で、ホントは誰よりも彼の特別になりたいってことも。
自分以外の女の子には(無意識も含めて)優しくしないで欲しいと思っていることも。
どれもこれも、想いは言葉にする前に飲み込むようにしていた。
そして今までも、これからも。妙がこの言葉たちを口外する気はない。口に出してしまったらきっと、彼を困らせてしまう。教師は一人の生徒と真昼の街道を歩いたりなんて出来ないし、生徒ひとりを特別扱いしてはいけない。妙の願いを彼は叶えることは出来ない。そうして彼が困った顔をするのを、妙は見たくはない。だから、言わない。
ワガママを言って彼を困らせる悪い子になんて、妙は絶対になりたくなかった。
***
「お前さァ、いっつも何か言いたげな顔してよォ。なんで言葉にしねーの?」
ペキン。放課後の教室に硬質な音が響く。書きかけの日誌の上で、妙が握っていたシャープペンシルの芯が折れた音だった。
日誌はもう書けそうにない。銀八の言葉のせいで、考えていた日誌の内容が妙の頭の中から綺麗サッパリ吹き飛んでしまったからだ。どうしてくれるのだろう。忌々しげに妙が日誌から顔を上げると、机を挟んで向かいに座る銀八と目が合った。
「……別に。言いたげなんかじゃ、ないです」
「嘘つけ」
絡んだ視線をそのままに、すうっと銀八が瞳を細める。その視線に、思わず妙が身じろぐ。ガタンと座っていた椅子が音を立てる。妙の前に座る銀八は、静かに憤慨している、ように見えた。
ゆらり、ゆらりと。妙の瞳が揺らぐ。なんだか、怖い(このひとはいつだって、なんでも見抜いてしまう)。
「なんで言わねェの」
「だって。言ったらきっと、先生を困らせてしまうもの」
「最初から決めつけてんじゃねえよ」
大体、そうやって色々我慢してるお前を見続けるほうが俺は困るんですけど。
そう言って、銀八は心底困ったふうな顔をした。そんな顔をして欲しくなかったのにと、妙は悲しくなる。させてしまったのは妙自身だ。
「お前はもっと、自分に正直に生きなさいよ」
指導めいた口調で銀八は苦く笑った。曲がりなりにも、彼が国語教師だったのを妙は今さらに思い出した。そして、ああ成る程、と納得する。国語教師だから、彼の言葉は心の奥底に染み渡るのかもしれない。彼の言葉は温かい。聞いていると、何もかもを許されてしまうような、そんな心地になれる。
「先生」
妙の舌先の上には、妙が今まで言えなかったことが山ほど溢れている。それを今なら、言ってしまえる気がした。
「私、もっと先生と一緒にいたい」
ハッと息を飲む気配。眼鏡の奥の銀八の目が大きく見開かれたのがわかる。ああ、どうしよう。彼を困らせてしまっただろうか。妙はそうやって不安げに身を強張らせた。
しかし次の瞬間、妙の予想とは裏腹に、銀八の瞳は柔らかく歪んだ。「俺もだ」そう言って、にやりと笑った口角。
「じゃあ、いつにする」
「いつ って、」
「デート。いつにするよ」
妙は俯いていた面を引き上げた。いいの、と問おうとするも声にならない。無言でまじまじと銀八の瞳を見つめる妙の、その視線に耐えかねたように、銀八は目を逸らしてしまう。
「あー……」
申し訳なさを含んだ声を出して、銀八がぽりぽりと頭を掻く。
「まあ、場所が限られるけど。あと金ねーから、遠いトコは無理だし。学校の近くだったり知り合いがいそうなトコも無理だ」
あーもーなんで俺って教師なのかなあ、と、銀八が突然言い出した。え、と呆気に取られる妙を置き去りにして、銀髪をくしゃくしゃと撫ぜる銀八が「もし、俺が、」と辛そうに言葉を吐き連ねた。
「もし、俺が、教師じゃなかったら。お前を好きなとこに連れ出せるのにな。お前を我慢させなくても済んだんだろうなァ」
「せんせ、」
「妙」
ごめんな、って。どうして謝るの。謝りたいのはこっちの方なのに。
堪らなくなって、妙は机を飛び越えて銀八の胸に飛びついた。うおっと声が上がるが彼の腕はシッカリと妙を受け止めてくれる。
「馬鹿だねェ、お前は」頭上から、声が降って来る。
「ワガママを言うお前を、俺は嫌いになったりしないし、面倒臭いとか、思ったりもしねーんだから。お前は存分にこうやって甘えてくりゃあいいんだよ」
あれほど我慢した妙の想いを、銀八は簡単に見透かしてしまった。温かい手のひらが妙の頭に落ちてくる。前髪を撫でられる。その手がまるで、いい子じゃなくていいよと妙に言い聞かせるみたいで。ぎしり、涙腺が軋んだ音を立てる。柄にもなく、妙は今すぐわんわんと声を出して泣き出したくなった(嗚呼、わたし、あなたの前だといい子になれないみたい)。
#3Z
いい子じゃなくていいよ '一周年リクエスト