ピンクゴールドの休日
※子どもの名前は出ません母ちゃんの機嫌が悪い。
それも、父ちゃん限定で。
母ちゃんは徹底的に父ちゃんを避けているようだった。ご飯の時も、母ちゃんの話し相手は息子である自分だけで、父ちゃんには一切会話を振らない。「ちょっと醤油取ってくんない?ねえ、アレ、ちょっと聞いてる?ねえ?」という父ちゃんの声にも反応しない。視線すらも向けてやらない。無視、シカト、スルーの三連コンボは父ちゃんを日に日に落ち込ませていった。
ここ数日の間で、二人の間に何があったのかは分からない。だが、母ちゃんがものすごく怒っているのは誰が見ても一目瞭然だった。
「父ちゃん、アンタ今度は何したんだ」
「んなもんこっちが聞きてーわ」
さっき母ちゃんが買物に出かけた。必然的に、家には僕と父ちゃんが二人っきりな状況。すっかりいじけてしまっている父ちゃんを見かねた僕が手助けをしようという事で、今に至る。
父ちゃんが悩ましそうに、僕と同じ色をした銀髪を掻き混ぜてうーんと首を捻る。俺なんかしたかなァと小さく呟いたその時、「あ!」と父ちゃんは唐突に目を見開いた。
「あーもしかしたらアレかもしんない」
「アレってどれの事」
「この前長谷川さんとキャバクラ四軒はしごして、財布スッカラカンにして帰って来たアレの事」
朝帰って来たら殺されかけた。いやァ流石に反省してるよ俺も。と、父ちゃんは全く悪びれもせずにのたまった。本当に反省しているのかが激しく怪しかった。
「多分それだと思う・・・、って。いや待てよ、違う、アレかもしんない。一昨日の、いやいや、それともアレか?」
「・・・・・・」
父ちゃんは整理がつかなくなったのか指折りして数え始めた。オイどんだけあるんだ、心当たり。そういう、多くの罪の積み重ねが母ちゃんにあんな態度を取られる一番の原因なんじゃないか。いや、絶対そうだ。
ぶっちゃけ、どうして母ちゃんはこんな、まるでダメな父ちゃん、略してマダオを生涯の伴侶に選んでしまったんだろうかとたまに本気で悩む事がある。
「でも、並大抵の事であんなに怒ると思えねーよなァ」
なんであんなに怒ってんのかなあ、お妙の奴は。そう言って、父は頭を抱えてしまった。お手上げ状態のようだ。
よいしょと腰を上げて台所へと向かった僕は冷蔵庫から『最終兵器』を取り出して、居間に戻って「はい」と父ちゃんに手渡す。
「・・・・・・おい、なんだこれ」
「困ったときのハーゲンダッツ」
「いやいやいやいや! 無理じゃね? そもそも物で釣るって。無理だろ、神楽じゃあるめーし」
困惑した表情でアイスひとつを受け取る父が苦笑を漏らす。たしかに、神楽姉ちゃんなら酢昆布一つで許してくれそうだなあと思った。
と、その時、ガラガラと玄関の方から音が響き渡る。どうやら、帰ってきたみたいだ。
「ただいま」
「お帰りなさい」
「あー・・・お妙、おかえ、」
「あら、もうこんな時間。ドラマが始まっちゃうわ」
買物袋をドスンと床に下ろした母ちゃんは、そそくさとテレビの方へ向かった。露骨に無視を食らった父だが、諦めずに母の後を追ってのそのそと動き出す。
テレビの前に座る母、の横に父ちゃんが立つ。
その様子を、自分は部屋の襖の隙間から見守る。
「悪かった」
まず、父ちゃんが謝る。それから、「ほら機嫌直せよ」と、アイスを差し出す。それを受けとった母ちゃんは、ずっと合わす事の無かった視線をようやく夫ちゃんへと向けた。
「あら。私がなんで怒ってるのか、やっと分かったんですか?」
「いや全然」
ゴツン。鈍器で殴られたような音が居間に響く。実際は、鈍器ではなくて母ちゃんの手から投げられたアイスのカップが顎に直撃した音だった。あれは地味に痛そうだ。
いたた・・・、と呻く父ちゃんに向かって母ちゃんはスッと目を細めた。
「何にも分かって無いくせに、謝ってんじゃないですよコラ」
「仕方ねえだろ、考えたけど分からなかったんだから」
開き直った風に父ちゃんが言う。「どうして怒ってんのか、ちゃんと言ってくんねーと分かんねーよ」と、その父ちゃんの言葉に呆れた母ちゃんは大きな溜息を吐いた。まったくもう、この人は。そんな母の心の声が聞こえたような気がした。
「この前の、日曜日」
覚えてますか。母ちゃんがゆっくりと言葉を紡ぐので、僕も思考する。
この前の日曜日、それならたしか。あの日は。
「日曜日・・・って、」
「ええ。三人で一緒に遊園地に行こうって約束したアレです」
にこっと母ちゃんが冷たい微笑みをつくる。怖い。「誰かさんが勝手に仕事入れて出掛けてしまって、中止になったんですけどね」と嫌味が続くと、途端、父ちゃんはバツの悪い表情になった。
「アレは本当、悪かったって」
「謝って済むならこの世に真選組は要らないんですよ。私もあの子も、すごく楽しみにてたのに」
「……そんなに行きたかったんならよォ、俺抜きでお前らだけでも行ってくればよかったろーが」
「私は、三人で出掛けたかったの」
ほらね全然分かってないじゃない。私が怒ってる理由。そう言って、膨れっ面の母ちゃん。
それを見て僕は思い出した。誰かが除け者にされたり、仲間外れだったりするのが、母ちゃんはたまらなく嫌いなのだ。
三人一緒で行きたかったのよ。二人じゃ意味ないでしょう。ぽつりぽつりと繰り返す母ちゃん。
そんな母ちゃんの頭を、大きくて無骨な手のひらがヨシヨシと撫でる手がある。
「悪かったよ」
「本当に悪いと思ってるの?」
「思ってるっつーの。悪かったってば。ごめん」
ごめん、ごめんな、と繰り返す父ちゃん。聞き耳を立てると、どうやら今度はちゃんと行こうと次の約束を取り付けているらしい。
僕は肩の荷が下りたような気持ちでふうと息を吐き出した。離婚の危機は去った。これでようやく、坂田家の食卓に笑顔が戻ってくる。
「あー、あのさ、」
ほっと胸を撫で下ろした矢先だった。居間に響いた父ちゃんの声。見ると、ガシガシと頭を掻いている父がそこに居た。あれはバツが悪かったり、何か言いにくい事があると頭を掻く、父の癖だった。
「三人で行くのも、たしかに良いと思うんだけど、」
けどさ。だけどさ。たまにはさ。そんな三つの前置きのあとで、「デートなんてどーですか」なんて。気障っぽくて、安っぽい誘い文句を言うあの男が、自分の父親だと思うと恥ずかしい。イイ年してなに言ってんだ。ていうか、息子の自分がこの会話を聞いている事を忘れてるんじゃないだろうか。
「たまには2人っきりで、さ」
「デート?」
「うん、デート」
見開いた目をパチクリさせている母ちゃんの姿を見るのは珍しい。
何時だったか、よく覚えていないけれど。母親になっても、お婆ちゃんになっても、女はいつまでたっても女の子で在りたいのよ、とかなんとか。そんな事を母ちゃんが言っていた。今なら少しだけ、その意味を理解できる気がする。
デートに誘う父ちゃん、と、その手のひらをそっと取った母ちゃん。
「ええ、是非」
行きましょうか、デート。久しぶりに。僅かに上気したピンク色の頬をふんだんに綻ばせながら、綺麗で温かな温度をした笑顔を見せるあの人は、一児の母というより、一人の女の子のようで。
ああどうやら、自分は留守番決定だそうで。
せいぜい楽しいデートを、お二人さん。
#原作
ピンクゴールドの休日
title 双眼鏡