召しませ純情

「ストップ!  スト…ッ、プ、アル!」

鎖骨の辺りに唇を寄せた直後のことだった。
神楽が大きく両腕を突き出したことで、チャイナ服のファスナーに手をかけたばかりの沖田は動くのをやめた。
チャイナ服のスリットから覗く白い太ももに沖田が触れることは叶わなかった。
突き出された両腕の奥に見えるのは、薔薇色に染まった頬、鼻、首筋。ああ舐めたら甘い味がしそうだと、沖田の頭はそんなことを考えている。
なんだか寒いなと思って視線を動かせば、開きっぱなしの自室の障子を彼女の背後に見つける。部屋の外から入ってくる夕暮れの陽光に目を焼かれながら、閉めておけばよかったと沖田は今さらに後悔をした。
別に、廊下を通りかかった誰かにこの場を見られることに抵抗はないのだけれど。今の彼女を他の奴らに見せてやりたくはない。
そんな独占欲が沖田の中にあるのだ。

「……アル」

ぼそぼそと、両腕を掲げたまま神楽が何かを言った。うん? と沖田は眉を片方上げて何事かと聞き返す。

「オイ、テメー今、なんて言いやがった」
「だから、私は、結婚するまで貞操はやらないって決めてるアル」
「は? ・・・って、はあァアア?」

バッと、沖田に向かって突きつけられた神楽の両腕が、そのままクロスする。たっぷり五秒ほど時間を使ってから、それがバツマークであることを沖田は理解した。
バツ。×。拒否の印。しかし、その両腕を掲げた神楽の、真っ赤に染まった顔はとても拒否しているようには見えない。

「女は簡単に体を安く売っちゃいけないのよって、前にアネゴが言ってたアル。だから私も貞操は結婚まで守り通すって決めたのヨ」
「マジでか」

うん、と力強く顎を引いてみせる神楽はいまだ両手でバツマークをつくって沖田を阻んでいる。隙がない奴だ。こちらを強く見つめる神楽の目も本気のようである。ピクピクとひくつく口元を手で覆いながら、嘘だろィ、と沖田は心の中で呟いた。

(ひでえや、姐さん)

沖田はこっそりと、上司の想い人を呪った。普段は絶対に彼女にだけは逆らったり軽口叩くことはしないようにしている沖田だったが、この時ばかりは彼女のことを心底恨まずにはいられなかった。
彼女の無駄な入れ知恵のせいで、神楽が貞操は結婚まで守るとかを言い出して、沖田は生殺しを食らうはめになっているのだ。

「つーか、お前、ふっざけんなよ。ここまで来てそれはねーだろィ。イマドキ結婚まで貞操守るなんて流行んねェし、大体、そんなの俺が許さねェ」
「なんでお前の許可がいるアルか!」
「結婚までとかありえねェ。俺が爆発する。・・・なあ頼むからさァ、頼むから、先っちょだけでもいいから」
「先っちょだけって何だヨォォオオ!」

変態!と悲鳴を上げて、神楽は大きく後ろに下がった。ざりざり、と畳がこすれる音が部屋に響く。
今の自分の姿が相当に格好悪いことになってるのを沖田は自覚していた。まるでラブホの前で女にすがりつくオッサンみたいだ。しかしそこまで沖田がプライドを投げ捨てているのにも関わらず、神楽の方も譲らない。
絶対だめアル、とバツマークをつくる手に力が入る。

「なんでわかってくれないアルか」
「なんでってお前、だから俺は、」
「・・・お前なら、わかってくれると思ったのに」

まぶたを伏せて、ぷうと白い頬を膨らませた神楽が眉を垂らす。きらりと光った睫毛が涙で濡れたものであることに沖田が気づいたのは今になってからだった。
そんなこと言われたら、そんな顔をされたら。(ああもう、俺はどうしたらいい。)
ふーッと大きく息ついて、はあっと脱力。
俺って自他共に認めるドSじゃなかったか。そんなことを疑問に思いながら、こちらに戸惑うような視線を投げている神楽に向かって、一言。
来い、と小さく呟いた。
その言葉が神楽に届いたかどうかも確かめる間もなく、沖田は神楽の細腕をつかんで、引き寄せてしまった。抵抗されるかと思っていたが、意外にもすんなりと、その小さな身体は沖田の腕の中に納まる。
あれ、と。呆気なく捕まえてしまった身体を抱えて、沖田の方が混乱してしまう。

「・・・いいのかィ」
「何がアルカ」

沖田が抱きしめた体勢のままで問えば、聞き返す神楽は首元にかかった息がくすぐったいのか、左右に頭をぐらぐら揺らしてみせる。

「こんな簡単に捕まっちまうなんて。今度こそ襲われても知らねーぜィ」
「大丈夫ヨ」

これは、絶対に大丈夫だと、確信を持っている声だ。なんでそんな自信を持って言えるのだと沖田が疑問に首をかしげていると、抱きしめている身体がそっと離れた。沖田の前では、ふにゃふにゃと頬を緩めさせた神楽が笑っている。

「なにが可笑しいんでさァ」
「今のお前はそんなことできないはずアル」

だって、と、愉しそうに神楽が言葉を紡ぐ。

「お前、私のこと大好きだからネ」

フフンと強気に答えるコイツは、自分が今、何を言っているのか気づいているのか。
じくりじくりと、沖田の心臓が疼きを覚える。

「大好きな私に嫌われたくなんかないから、お前は襲うなんて真似は出来ないはずアル。・・・そうデショ?」

こてんと可愛らしく首を傾げた神楽と、その言葉に、沖田は黙るはめになった。こちらが答えてやる義理はない。黙秘である。
しかしこの沈黙が図星だと言っているようなものだということに沖田自身が気づいた頃には、神楽はもっと機嫌を良くして大きく笑っていた。
「・・・ちょっと、こっち向きなせェ」ちょいと手を伸ばして、神楽の鼻先を沖田の指先がつまむ。「なにヨ」鼻声の返事が返ってきて、沖田はケラリと喉を鳴らして笑った。

「結婚するまで貞操は守るんだったよな」
「うん」
「・・・じゃあ、」

じゃあ、籍入れたら覚悟しときなせェ。
そんな台詞を吐いたあとで、おかしいなァ、と沖田はそっと眉を下げた。
お預けを食らった悔しさの腹いせに、憎たらしい小言の一つや二つを吐いてやるつもりだったのに。おかしい。おかしすぎる。
実際に沖田の口から出たのは、愛を囁くようなとてつもなく甘ったるい声だった。


#原作
召しませ純情
title ジューン
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