靴は消耗品

 屯所の中にいると、話し声や足音がひっきりなしに聞こえてくる。こんなに人の気配がする家を神楽はほかに知らない。最初の頃はやかましくて仕方がなかった騒がしさも今ではすっかり耳に馴染んでしまった。
 屯所の廊下に腰掛けていれば広々とした庭が見渡せる。ここはお気に入りの場所で、足をぶらぶら揺らしているのが神楽はいっとう好きだった。突き出た屋根が廊下を覆うように日陰をつくるので日差しの心配もしなくていい。相棒の傘は畳んでそばに置いてある。
 ふと、一人分の足音が近づいてくるのに神楽は気がついた。見れば、廊下の向こうから一人の隊士が歩いてくる。

「お邪魔してますヨー」
「っ!」

 ほんの挨拶のつもりで声をかけたのだが、隊士の青年はギョッという顔をした。

「どうかしたアルか?」
「いえ、あの……」

 隊士はあからさまに動揺している様子で、彼の顔がみるみる青ざめていく。泣く子も黙る警察組織の一員がなんて顔を、と神楽は面食らってしまう。

「ええっと、……ご苦労様です」
「お、おぅ…?」

 なんと反応したらいいか途方に暮れる神楽をよそに、隊士は深々とおじぎをすると、逃げるように場を去ってしまった。アレは一体何だろう。小さくなっていく隊士の背中を、神楽は見送るしかなかった。
 おかしなことはまだ続いた。それからも廊下を通りがかる隊士たちが神楽の顔を見た瞬間にみんな青ざめたり怯えたりして、この場から離れて行くのだった。

「なんだヨ、私がなんかしたアルかぁ?」

 そうは言っても、心当たりがまるでないから神楽は困ってしまった。うーんと唸って頭上を仰ぐ。
 神楽が屯所に入り浸るようになってから、もうしばらく経つ。最初はおっかなびっくり接してきたあちらも慣れたもので、神楽のことを親しげに「チャイナさん」と呼ぶ。
 どうせなら名前で呼んでほしいが、そうなるとまずはあの男にチャイナ呼びを止めさせないといけない。それは非常に面倒くさいことになりそうなので、神楽は半ばもう諦めて、彼らが「チャイナさん」と呼ぶことを許している。
 そういう訳だから、仲良くなった彼らが神楽相手に今さらオドオドした態度をとる理由はないはずだった。

「沖田」

 一人きりで考えるよりかはいいと思って、神楽は後ろに向かって声をかけた。

「これはどういうことネ」
「はァ?」

 神楽が首だけでうしろを振り返ると、障子が開け放してある座敷で沖田が怪訝な顔をしていた。その手元には筆と硯。沖田は机に向かって書類相手に奮闘している真っ最中である。

「お前んとこのやつら、なんか態度変わったアル」
「へー」
「前はもうちょっと親しげだったヨ。でも今日は、よくわかんないけど怯えられてるネ」
「ほー」

 珍しく仕事なんてものをしているせいか、沖田の返事はいつになくそっけない。神楽は短く嘆息して、おい、と呼びかける。

「おい聞いてんのか」
「聞いてる、聞いてる。つーか、屯所の奴らの態度がおかしいってことをなんで俺に聞くんでィ」

 沖田の口調は相変わらずつれない。だが、こうして何でもないように質問をしてくるあたり、沖田はちゃんと神楽の話を耳に入れているらしかった。

「お前がアイツらになんか言ったんじゃないアルか」
「知らねーな。俺ァ別になんもしてねェよ」
「あっそう」

 沖田の身に覚えがないのでは、やっぱり自分が何かやらかしたのだろう。神楽は自分に心当たりがないか、もう一度思い出そうとした。
 その時、沖田が「あァ」と何かを思い出したように呟いた。

「そういや、あったな。大したことじゃねェが」
「何アルか?」
「今朝の会議でな、最近屯所に出入りしてる娘は誰なんだって聞かれたんでィ」
「……それで?」
「アイツは俺のなんで手ェ出した奴はぶっ殺しまさァ、って言っといた」
「原因はお前アルかァァ!」

 がばっと身体ごと振り向いて、「なんてことしてくれたネ!」と神楽はすごんだ。それに対して、書類に目を落としていた沖田がちらりとこちらを窺ってくる。

「なんでィ、なんか文句でもあんのか」
「あるに決まってんだろ!」

 むしろ文句しかないアル、と神楽は食ってかかるが、沖田の方はあっけらかんという顔している。

「別にいいじゃねーかィ、屯所の奴らへの牽制ってことで」
「はぁぁ? 牽制も何も、私まだ十四ヨ。手なんか出されるわけがないアル。みんながみんな、お前みたいなロリコンだと思ったら大間違いヨ」
「誰がロリコン?」

 沖田の不服そうな声が聞こえるが神楽の知ったことではない。顔を背けて知らんぷりをした。
 ようするに、神楽に対する屯所の人々の態度が急によそよそしくなった原因は沖田にあるらしい。下手に神楽と親しげにしようものなら、沖田に勘違いされるだろうから、隊士たちは神楽に近付くことを恐れていたのだ。
 この落とし前どうつけてやろうか、と神楽が心ひそかに復讐を決意していると、沖田が自室の机から立ち上がった。

「こっちくんな」
「俺の勝手だろィ」

 さっさと仕事に戻れ、と手で追い返してやるも逆効果だった。廊下に出てきた沖田は神楽の隣までやってきて、胡坐をかいて居座ってしまう。
 不機嫌さを主張するみたいに神楽が口をへの字にしていると、横から沖田が言った。

「ま、機嫌直せよ」
「誰のせいで私がこうなってると思ってるネ!誰の!」
「俺のせいか」

 けろりと言ってみせる沖田に反省の色は見えず、神楽は怒りを通り越してほとんど呆れてしまった。大きくため息をひとつ吐き出してやる。

「お前、仕事はいいアルか」
「終わった」

 そんな沖田の言葉が嘘くさく思えて、神楽は廊下から部屋の奥を覗いてみる。机に無造作に積み上げられてあった書類の山はあらかた整理されていて、本当に終わったのか、と神楽は目を丸くした。

「おわっ!?」

 その時だった。不意に身体がぐらりと揺れて、神楽の視界がブレた。慌てて見上げると、伸ばしていた神楽の足の片方が沖田につかまれて持ち上げられていた。

「ちょっ、は、離すアル!」

 掴まれてない足をじたばた振り回せば、身体を引いて沖田が蹴りを避ける。その隙に手が離れてくれたので、慌てて足を懐まで引き寄せて、もう触らせるもんか!と神楽は体育座りをした。そんな神楽を、沖田はどうしてか呆れたような目で見つめている。

「いや別に、変なことする気はねェよ」
「変なことって何ヨ」
「逆に聞くが、オメーはなんだと思ったんで?」

 にやっと笑う沖田には心底腹が立つけれど、いま口を開けば墓穴を掘るしかない。神楽はぐっと黙り込む。
 悔しそうな神楽を沖田がしばらくの間それはそれは楽しそうに見ていたが(このドS野郎が!)とつぜん神楽の足元を指さして言った。

「オメーの足」
「……あし?」
「よく見ろィ。先っちょのとこ、赤くなってる」
「あっ、ホントアル」

 確かに神楽の足は指が擦れたように赤くなっていた。沖田が神楽の足を掴んだのはこれを近くで見るためだったらしい。だったら最初から言ってくれたらいいのに。紛らわしい奴だ。

「痛くねえの?」
「特に」

 尋ねられて、強がりなしに神楽は首を横に振った。自分で気づかなかったくらいなので痛まないし、爪先の腫れだって酷いものじゃなかった。
 むしろ神楽が気にしているのは、先ほど沖田に握られた足首だ。手のひらの温度がまだ残っているようで、なんだか少しむずがゆい。

「でも、おかしいアルな」
「おかしいって?」
「だって私、ちっちゃい怪我ならすぐ治るはずネ。そもそも怪我した覚えもないアル」
「怪我っつーかそれ、擦れた痕じゃねーのか」
「怪我じゃないアルか?」
「たぶん、靴が合ってねェんだよ」

 沖田の言葉を聞いてすぐに、神楽は庭から自分の靴を拾い上げに行った。屯所にはいつも庭から侵入しているから、靴は玄関ではなく縁側の隅に揃えてあるのだ。
 そうして持ってきた靴を見つめて、ほら、と沖田が言った。

「靴がボロくなってんぜ。長いこと履いてたんだろ、そりゃサイズも変わらァ」

 沖田の指摘を率直に正しいと受け止めて、神楽はウンと頷いた。ぐずぐずになった靴の縁を神楽の指がなぞる。

「こんなボロボロになってたなんて、私気づかなかったヨ」

 昔はぴったり足にフィットしていた靴も、最近は踵と爪先がすこし窮屈だった。神楽は気にするほどじゃないと放っておいたが、大きくなった足を無理やりねじ込んでいるせいで、知らず知らずのうちに靴が痛んでいたらしい。よく見れば、中の布の部分は剥げているし、靴底は今にもぽろりと取れてしまいそうだ。

「新しいの、旦那に買ってもらったらどうでィ」
「えー?」

 我が儘だとはわかっていたが、神楽の口は不満の声を漏らさずにはいられなかった。ボロボロの靴は早く買い替えたほうが良さそうだが、長年一緒だったこの靴には結構な愛着が湧いていたからだ。なにより、神楽はまだこの靴を普通に履けているのだ。

「いいヨ、履けなくなったわけじゃないアル。まだ使えるネ」
「貧乏性」

 ぼそっと呟れたそれを神楽は聞き逃さなかった。キッと目を吊り上げて沖田を睨みつけてやる。

「誰が貧乏性アルか」
「うわァ地獄耳」

 聞こえちまったか、とわざとらしく驚いた顔をしてみせる沖田は確信犯だろう。「コイツって人をイラつかせる天才じゃね?」と思うのと同時に、神楽は自分の頭の中でぷっつんと音がするのを聞いた。

 仕事が終わるまで放っておかれたこと、屯所中の隊士から避けられる原因を作ったこと、その他もろもろの鬱憤が溜まりに溜まっていた。気がつけば神楽は隊服の襟首に掴みかかっていて、そこからは全部いつも通りだった。殴り合いの蹴り合いをしていると、騒ぎを聞きつけた山崎が飛んできた。それから彼を巻き込んで三人で揉みくちゃになった。
 最終的に一番大けがを負ったのはどういうわけか山崎で、ごめんねを言いながら神楽は沖田と二人して彼の手当をした。

「……なんというか、アレですね」
「山崎ィ、テメーなに笑ってやがんだ。そういう趣味でもあんのかィ」
「いや違いますよ」
「だって怪我して笑うなんて変ヨ。ジミーもさっちゃんの仲間アルか?」
「ええっと、さっちゃんってのが誰かは知りませんけど、多分それ違いますから。俺が言いたいのは、なんかアンタら見てると怒る気もなくなってくるってことで……」
「はァ?」

 やっぱりコイツМじゃねーの、と沖田が神楽の隣で呟けば「だから違いますって!」と山崎はヤケクソのように言い返した。

「これで付き合ってるっていうんだから、不思議ですよねホント」

 ははは、と泣き出しそうな笑いをこぼしながら、頬に絆創膏を貼り付けた山崎が言った。

***

「神楽」

 仕事のない日の午後、ダラダラと神楽が居間のソファに身体を沈めていると、向かいのソファに座る銀時から声がかかった。

「ちょっとこっち来い」

 テレビに顔を向けたまま銀時が手招きをしてくるので、何だろうと思って神楽はソファから腰を上げた。
 昼ドラの再放送にはまだ早いのか、テレビは通販番組を流している。銀時と一緒にそれを観ながら、神楽は、むかし通販で大量の商品を買い込んで怒られたのを思い出した。通販のシステムを知った今ではもうそんなヘマはしないが、あれは本当にすまないことをしたと思う。
 神楽があれこれと考えている間にも、番組は進行している。外人の男が紹介している商品は靴だった。なんだか見覚えがあって、なんだっけと首を傾げてみる。

「これ、お前の靴と同じやつじゃね?」
「あっ!」

 言われてみればそうだ!と神楽が声を上げた瞬間に、画面がパッと切り替わる。値段と一緒に映し出された靴の画像は、神楽の持っているそれと同じ形だ。

「でも色が違うネ」
「色違いもあるっぽい」

 ほら、と銀時の指が画面の端をトントン叩く。見れば確かに、神楽の履いているのと同じ靴が見本の一つに用意されている。ほほーう、と神楽は品揃えの良さに感心した。

「よし」

 神楽の横で、銀時はおもむろに懐から手帳を取り出した。そして、画面に表示された電話番号をそこに書きつける。

「色は今のでいいか? サイズは?」
「へ?」

 いまいち状況がつかめない神楽を尻目に、よいしょと立ち上がった足で銀時が事務机に向かう。
 そこで神楽はある可能性に気づいて、くわっと瞳をこぼれんばかりに見開いた。

「買ってくれるアルかっ!?」
「……なんでそんな驚いてんの」

 あんまりにも驚きすぎて神楽がぽかんと口を開いたままになってると、その反応に傷ついたのか、銀時はガックリと頭をうなだれる。

「買ってやるからサイズ聞いてんだろうが」

 察しの悪い奴だな、と言って銀時が不満そうに眉間にしわを寄せる。その様子を見る限りでは、銀時が嘘を言っているようには思えなかったが、神楽はまた用心深く質問を重ねた。

「銀ちゃん、本当に一体どうしたアル。なんか悪いものでも食ったネ? それとも頭でも打ったアルか?」
「うるせえよ、俺はどこも悪くねえよ!」

 銀髪をガシガシ掻き回しながら、「そういう態度されると銀さん地味に傷つくんですけどォ」と銀時はツンと唇を尖らせる。それを見て、神楽はなんだか申し訳ない気持ちになった。
 こうして銀時の提案を素直に喜べない自分には本当にウンザリした。だが神楽にだって言い分はあるのだ。普段の銀時は給料もろくに支払わないマダオだから、こんなふうに疑り深くなってしまうのは仕方がないことだと神楽は思う。

「お前が履いてる靴さ、」
「ん?」
「ずいぶん前から踵潰れてんだろ」

 どうして靴を買ってくれるのかを尋ねようとしていた矢先に、銀時がそんなことを言った。てっきりパチンコで金が入ったとかしょうもない理由だと思っていたので、神楽は驚いて銀時を見返した。
 それから、と続けて銀時が神楽の足元を指さす。

「お前の足も、指のところ赤くなってるだろ」

 銀時の声を聞きながら腫れた爪先を見つめていると、なんだかデジャヴな光景だぞ、と神楽はふと思い当たる。
 そういえば先日、神楽は沖田にも靴のことを指摘されたばかりだった。あの時は、新しい靴を買ってもらえという沖田の提案を見事に突っ返したが、神楽もまさかこんなことになるとは思ってもみなかった。

「腫れてるってことは靴が合ってねえってことだ」
「成長期だからネ」
「あーまァ確かに、お前の足がでかくなったのもあるだろうけど。靴もだいぶ古くなってんだろ?」
「うん」
「だから、けっこう前から新しいの買ってやろうと思ってたんだよ。でも、お前が欲しいって言い出す前から勝手に買い替えるってのもなんかアレだったから。あとお前、あの靴かなり気に入ってるみたいだし?」
「……うん」
「んで、どうすっかなーって思ってたらこの靴見つけたってワケだ。新品の同じ靴なら、買い替えたところでお前も文句ねーだろ?」
「……」
「おい、なんか言ってくんない?」
「……」
「ひょっとしてこれじゃなくて、違う靴がいいとか?だったら今度、」
「そうじゃないアル」

 話が望まない方向にいきそうになったので、神楽は慌てて首をぶんぶん振って否定をした。

「これがいい。この靴が良いアル。この靴じゃないとやあヨ」

 何度も言葉を繰り返す自分はまるで駄々っ子みたいだろう。神楽はすんと鼻を鳴らした。別に泣いてるわけじゃない。ただ、胸がいっぱいになるってきっと今のような状態を言うんだなと思った。

「銀ちゃん」

 気にかけてくれていたことが嬉しくて、神楽は思わず銀時を呼んでしまった。だが困ったことに、続く言葉が見つからない。
 そんなふうにオロオロしている神楽に何を思ったか、銀時はにやにやと意地の悪い笑みを唇に乗せる。

「どうした、急に大人しくなって。新しい靴要らねーの?」
「要る!」

 明日になれば銀時の気が変わって、靴を買うためのお金はパチンコに消えてしまうかもしれない。そんな考えが一瞬頭をかすめて、神楽は食い気味に返事をした。
 神楽の必死さがおかしかったのか、銀時はわははっと声を上げて笑った。誰のせいで必死になったと思ってんだこの天パ、と神楽は内心でギリギリと悔しがる。

「色はどうすんだ?」
「今のと同じでいいネ」
「わかった」

 それからすぐに銀時は電話をかけはじめた。やはりこれはドッキリや冗談ではなく、銀時は本当に靴を買ってくれるらしかった。今更のように湧いてくる実感に、神楽はキャッホー!と叫び出したくなった。
 靴が届いたら新八やアネゴに自慢しよう。
 アイツにだって見せてやりたい。
 やりたいことが次々に思い浮かんできて、神楽の頭から溢れてしまいそうだった。

「んで、サイズは?」

 受話器を耳に当てる銀時に尋ねられて、待ってましたとばかりに神楽はにっこり笑顔を返した。そして、今よりも少しだけ大きな靴のサイズを声高らかに叫んでやった。


***

「神楽ちゃん、電話」

 沖田さんから、と言う新八の顔が少しだけ気まずそう(それでいて、なんだか嬉しそう)で、なんだか神楽も落ち着かない気分で受話器を受け取った。
 ソワソワしている新八と反対に、ソファに寝そべる銀時からは何の反応もない。昨日の晩に飲みに出かけて朝方になって帰宅した銀時は、二日酔いを引きずって寝込んでいるのだ。だらしない大人の代表を横目に見ながら、神楽は電話に出た。

「もしもし」
『おう、午後から暇かィ』

 出し抜けに予定を聞かれて、こんな時間に誘われるなんて珍しい、と神楽は目をしばたいた。
 今は真昼間で、こちらだって仕事があれば電話に出れない可能もある。それに、沖田が非番ではない日は基本的に会う約束をしない。たとえば定春の散歩だとかで、偶然に市中で顔を合わせるくらいだ。

『昨日のオフが捕り物で潰れただろ、その埋め合わせでィ』

 電話の経緯を尋ねた答えがそれで、ああ、と神楽は合点がいく。
 昨日は確かに沖田と会う約束をしていた。だが、直前になってから沖田が仕事に出かけてしまったのだ。

『んで、どうなんでィ。お前どうせ暇だろ?』
「どうせって何ネ」
『どうせ仕事入ってねーんだろって意味』
「説明しなくてもわかるアル!おいてめっ、あんま万事屋なめてんじゃねーぞコラァ」
『ほーう?』

 意外だとでも言いたいのか、電話の向こうで沖田が愉快そうに笑う。

『そんな言い方するってこたァ、万事屋にはさぞ仕事がたんまり舞い込んでることでしょうねェ』
「……ないから余計ムカついてるアル」
『ほらみろ』
「このドSチワワ。電話切るぞ」
『は、ちょっ、待て。おい、切んな』

 受話器を耳から遠ざけてやると、焦ったように相手は切るな、切るなと早口で繰り返した。
 しょうがない奴ヨと思いつつも、神楽はしぶしぶ受話器を元に戻してやった。

「早く本題を話すアル」
『じゃあ確認するけど。暇なんだな?』
「まあネ」
『待ち合わせは一時間後に、河原んとこでいいか。俺今出先だから、そのまんま行くから』
「はいはい分かったヨ」
『……』
「? 要件はそんだけアルか?」

 電話を切るタイミングを計りかねて神楽が聞くと、やや間があってから『お前さ、』と癖の強いハスキーが紡いだ。

『怒ってる?』
「さっきの発言ならもういいアル。実際暇だったからネ」
『あー、いやそっちじゃなくて』
「どっちヨ」
『悪かったな。昨日のドタキャン』

 すまなそうな沖田の声が聞こえて、驚いて神楽は目を見開いた。まさか謝られるとは思っていなかったからだ。

「そっちも別に怒ってないネ」

 くだらないことをいちいち聞くんじゃないと思いながら、神楽は短くそう答えた。
 時々忘れそうになるが、沖田は曲がりなりにも警察だ。非番だろうがデートだろうが、これからもテロが起きれば沖田は現場に飛んで行くんだろう。
 でも、神楽だって万事屋がピンチのときは沖田のことなんか放っておくだろうからお互い様だ。だから神楽がここで沖田に謝られる義理はない。
 ただ、それをそのまま告げてやるほど神楽は素直じゃないので、

「怒ってないアル」

 と、もう一度そう繰り返すだけに留めた。
 神楽の言葉に、沖田はいつまでたっても返事を寄越さなかった。何か思うところがあったのかもしれない。

「埋め合わせってさっきお前言っただろ」
『……言ったけど?』

 なんとなく会話を終わらせる雰囲気ではなかったから、神楽が思いついた話題をそのまま声に出した。すると今度ばかりは沖田からも返事がある。

「でもお前、今日仕事だったんじゃないアルか?」
『ああ、その件に関しては大丈夫でさァ』

 ちょっとだけ間をあけてから、『俺ァ納得いかねえけどな』と沖田が不満げに呟く。

『さっき土方さんに、デート潰されたんでどうにかしてください、できねーなら死んで詫びろ土方、って言ってみたらあの野郎、だったら午後から休みだって言いやがって』

 一日潰れたのに休みは半日かよ、とブツブツ文句が続く。それでも、さっき神楽に謝罪をしてきた時より、今の沖田の声は若干トーンが高いような気がした。
 愚痴はこちらが許す限り永遠と続きそうだったので、神楽は早々に話を切り上げて、やっとこさガチャンコと受話器をおろすのに成功した。
 待ち合わせは一時間後だが、急ぐのに越したことはない。そう思って、神楽は準備をするため洗面台へ急いだ。


 ***


「それじゃ、出かけて来るヨ」
「はい、いってらっしゃい」

 大急ぎで髪をセットし直して神楽が傘を片手に玄関に立つと、新八が見送ってくれる。
 幸か不幸か、神楽が出かける頃になるまで仕事の依頼は一つも来なかった。今のような状態を「閑古鳥が鳴いている」と言うらしい。新八が渋い顔になって教えてくれた。

「神楽ァ」

 玄関を出ようとした時、間延びした声が神楽の背中にかかった。ちょっと待っていると、二日酔いの銀時がのそのそ玄関まで起き出してくる。

「あー頭痛ェ」

 しんどそうに呟く銀時の頭には寝ぐせがついている。上司の情けない姿に、神楽は新八と二人して顔を見合わせて、同時に深いため息をついた。

「やっと起きたアルかダメ人間」
「いいだろ仕事ないんだから」
「仕事がないこと自体よくないってことに気づいてください!」

 そんな新八のツッコミを鬱陶しそうに手で振り払って、

「神楽、そこにある箱。お前のだから」

 銀時が靴箱の上に置いてある箱を指さす。

「お前は寝てたから知らねェだろうが、あの靴届いたぞ。折角だからこっち履いてけば」
「おおー!」

 注文したのは今週だったのにもう届くなんて!と神楽は宇宙の宅配システムにほとほと感心したあと、玄関にあった箱をぱかりと開けた。
 もしも朝帰りした銀時がタイミングよく荷物を受け取ってくれなかったら、神楽はこれを履いて行けなかった。なんてラッキーなんだろうと神楽は喜びに胸を躍らせながら、新しい靴を履いた足ですくっと立ち上がる。

「ちょっと硬いアルな」
「歩いてりゃ慣れんだろ」

 靴を履いた足で床をトントン叩くと、爪先が少し窮屈だった。だが銀時の言う通り、一回り大きいサイズを買ったはずなのですぐに慣れるだろう。

「ずいぶん楽しそうな顔してんじゃねーか」

 若いねえ、と銀時に囃し立てるみたいな言い方をされる。不思議と神楽の気分は悪くなかった。楽しそうに見えるのは当たり前だ。

「だって楽しいからネ」
「バカ、開き直んじゃねーよ」

 てっきり神楽が照れるものと踏んでいたのか、思わぬ反応に銀時は苦笑してみせた。神楽はなんとなく銀時に勝ったような気分になって、意気揚々と万事屋の玄関を出た。
 パンッと頭上で傘を広げて振り返れば、銀時と新八と目が合う。神楽は大きく息を吸った。

「いってくるアル!」





 待ち合わせ場所に着く頃には、窮屈だった靴の違和感は消えてしまった。やっぱり一回り大きいサイズを買ってよかったと、神楽は心からそう思った。
 河原近くの桟橋に立っている沖田を見つける。オーイと神楽が呼びかければ、あちらも気付いた様子だった。電話で言っていた通り、沖田は隊服姿のままだ。
 神楽が新しい靴で足取り軽やかに沖田の前まで走って行けば、はたと何かに気づいたように沖田は目を丸くした。

「あり?」

 沖田は神楽の傘のてっぺんから足の先までをじろじろ眺める。それから、くっきりとした皴を眉間に作ってみせた。

「何ヨ」
「……いや、別に」

 なんでもないと沖田は首を振ってみせるが、見逃してやる気にはなれなかった。「どうしたのヨ」と神楽は語尾を強めて尋ねた。

「隠しても無駄アル。言いたいことがあるならはっきり言うがヨロシ」

 お見通しだと神楽が言ってやれば、逃げれないことを悟ったのか、沖田は諦めたような顔で口を開いた。

「靴」
「え?」

 出し抜けに言われて神楽は一瞬どきりとした。新しい靴に気づいてくれたのかと思ったのだ。しかし沖田の曇った表情から、それが神楽にとっても良い話じゃないことは明白だった。

「この前、新しいの靴買わねーのかって聞いたろィ」

 だから、と続ける沖田の声はわざとつくったみたいに淡々としている。

「昨日、お前連れて靴買いに行こうと思ってたんでィ。予定が潰れちまったから、今日はその代わりに、って思ってたんだが、もう必要ないみてェだな」

 神楽の靴を見ながら、「つーか、前と同じやつにしたんかィ」と沖田はぼそぼそと呟くように言った。
 買ってもらえば、なんて言っていたくせに、沖田は自分に靴を買ってくれる気だったらしい。だったら早くそう言ってれたら良かったのに。言ってくれたなら、こんな面倒なすれ違いなんて起きなかった。神楽はなんだか居たたまれない気分になる。それが表情に出ていたのか、沖田は気まずそうな顔をして神楽に言った。

「そんな顔すんな」
「だって、」
「足がラクチンになって良かったじゃねーかィ」

 慰めるみたいに言われて、神楽は困惑してしまった。どうせなら文句の一つでも言ってくれたほうがまだ良かったのにと思う。勝手に自己完結されてしまったら、神楽は何も言い返せない。

「もう飯食ったか」
「……うん」
「んじゃあ、どこ行くか」
「行く場所はもう決めてあるネ」

 実際に場所を決めたのは三秒前だったが、神楽はハッキリ告げて歩き出す。少し遅れて追いついてきた沖田が、へえ、と声を漏らす。

「珍しい。どこ行くんでィ」
「靴屋」
「は?」

 素っ頓狂な声を上げて沖田がその場に立ち止まったので、神楽も沖田に合わせて足を動かすのを止める。

「オイ。ちゃんと歩けヨ。道のド真ん中で立ち止まってんじゃないアル」
「なァ、いまなんつった?」
「聞いてなかったアルか。靴屋に行くのヨ。買ってくれんでしょ、新しいの」
「……それはもう履いてんだろィ」

 憎々しげに言ってみせる沖田の視線は、さっきから神楽の靴に向けられている。やっぱり怒っているんじゃないかと思って、神楽はどうにか沖田の機嫌を直してやりたいと思った。

「この靴、うちの星が生産してるやつなのヨ」
「はあ」

 傘の柄をくるりと回して神楽が言えば、「いきなり何言ってんだ」と呆れたような、ちっとも興味ないような、その両方のような声で沖田が相槌を打つ。

「夜兎は足の力ごっさ強い奴らばかりヨ。だから、丈夫な靴じゃないとすぐダメになるアル。この靴だって、普通の靴屋じゃ買えないやつヨ」
「夜兎御用達ってわけか」

 そうそう、と頷き返して、神楽は片足を浮かせて靴を見せつけるように沖田の前に突き出す。

「たとえばこれ、薄いけど鉄板入ってるアル」
「マジでか」
「マジでヨ」
「あーなるほどな、お前に蹴られるところ、どおりでいつも痛ェわけだ」

 沖田がしみじみと感心したように言う。そうしておかしな会話を繰り広げている神楽たちを、道を行き交う人々がじろじろ見ていくが気にしたら負けだった。

「で、結局なんで靴屋なんでさァ」
「そんなの決まってるネ。靴を買うのヨ」
「わかんねーなァ。夜兎御用達の靴なんだから、そこらに売ってねえんだろ。だいたい、もう旦那に買ってもらったんなら、俺がもう一足買ってやらなくたって、」
「だーかーら、最後まで話を聞くヨロシ!」

 長々と文句を垂れる沖田の言葉を、神楽が声で遮った。
 たとえば万事屋と真選組が共同戦線を張るとして、その時の沖田は察しが良くて助かるのだが、こういう時の沖田はダメだ。自分を芋侍と自称するだけあって、色恋が絡むことにめっぽう鈍い。
 それでも、いちいち説明が面倒くさいなと神楽は思う反面、一つひとつ言葉にしてやるのは楽しいとも思っている。嫌なことが楽しいだなんて、昔の自分だったら考えられないだろう。これだから恋ってやつはいやだった。

「もう一度ちゃんと私が説明してやるネ。耳かっぽじってよく聞くがヨロシ」
「そりゃどうも」
「これは暴れまくっても丈夫で破けないし、いっぱい走っても底が擦り切れにくいアル。だから、この靴は仕事用にするアル」
「……仕事用?」
「そうヨ、仕事用。今から買いに行くのは別のやつアル」

 神楽がそこまで言っても沖田はまだわかっていないようだった。本当は全部わかっていて、わざと言わせてるんじゃないか。沖田の意地の悪い性格を思い出して、神楽は無駄に勘繰ってしまう。
 しかし実際のところ、神楽の目の前にいる沖田は真ん丸に目を見開いている。おそらく本当にわからないのだろう。
 今までの会話から察してみろバカヤロー、と内心毒づきながらも、これも惚れた弱みだと思って神楽はそっと目を伏せた。
 だから、と小さい声で続けてやった。

「……デート用のやつ買ってヨ」

***

 神楽が連れて来られた先は、かぶき町の小さな靴店などではなく大型の量販店だった。種類は多いほうがいいだろ、という沖田の意見に神楽も賛成したが、問題はそのあとだった。

「おら、好きなの選んで来い」

 なんとも無責任なことを言い残して、背を向けた沖田はどっかへ行こうとした。神楽は慌てて隊服の裾をつかんで引き留めてやる。

「そうだよな、お前はそういう奴だったアル」
「なんで呆れてんだ」

 わけわかんねえという顔を浮かべている沖田に、神楽はため息混じりに言った。

「普通こういうのは、一緒になって選んでくれるもんヨ」
「あーひょっとしてアレか、俺の好みのやつが欲しいとかそういう、」
「違うアル」
「けっこう可愛いとこあんじゃねーかィ」
「だから違うって言ってるアル!」

 いいからさっさと行くぞと隊服を引っ張ると、伸びる伸びる、と苦情を言いながら沖田が神楽の横を歩き始めた。その顔は非常に面倒くさそうな顔をしている。だが一緒に靴を選んでくれる気になったらしく、神楽が手を離しても沖田はもうどこかへ行こうとしなかった。
 さすがに大型店だけあって、フロアは大量の靴に埋め尽くされて選び放題だ。とはいえ、色とりどりの靴が所せましと並んだ空間から一足を選び出そうとすると、神楽はなんだか途方に暮れたような気分になってしまう。だからこうして隣に沖田が居てくれるのは神楽にとって心強い。
 いろいろ見て回っていると、神楽が今履いているのと似たような靴を見つけた。色が綺麗だったので、傘を持ち運ぶ手とは別の手でそれを手に取ってみる。

「なんかあった?」

 隣の棚をぼんやり眺めていた沖田が神楽の手元を覗き込んでくる。

「おい。なんで今履いてるのと同じの選んでんだ。バカなのか、チャイナはバカなんかィ」
「バカって言うほうがバカアル。ていうか、同じ靴じゃないアル」
「形がクリソツじゃねェか」
「底に鉄板入ってないネ」
「判断基準そこか」

 神楽の言い分が気に入らなかったらしく、沖田は険しい顔をして言った。

「とにかく、今履いてんのと違うの選べ」

 なんて偉そうな口ぶりをするんだ、ていうかお前が好きなのを選べと言ったんだろうと恨みがましく沖田を睨みつけてやるが、靴の代金が沖田持ちであることを思い出して、神楽はしぶしぶと靴を元あった場所に戻した。
 沖田からは「違うのを選べ」と言われてしまったが、神楽には難しい相談だ。なんせ同じ靴しか履いてこなかったので、自分に似合うほかの靴のイメージが湧かないのだ。
 なんとなく目に留まった真っ赤なハイヒールを神楽が手に取ると、やはり横から沖田が要らない口を出してくる。

「そんなん止めとけって。靴擦れするに決まってらァ」
「履いてるうちに慣れるアル」
「つか、ハイヒール履く奴にゃもっとこう色気がねえと」
「はー!?」

 あんまりの発言に神楽が面食らうが、沖田は何食わぬ顔でほかの靴を物色している。「コイツに一緒に靴を選べなんて言ったバカは誰だっけ」と考えてから「あっ私だったアル」と二秒で思い出して、神楽はつくづくと後悔した。
 それからも神楽が手に取った靴に対して、いちいち沖田が文句つけるせいで、靴は一向に決まらない。ああでもないこうでもないと二人で言い合いをして、神楽は疲れてしまった。

「文句ばっか言うんだったらお前が選べばいいアル」

 そしたらどうせ面倒くさいとか言うんだろうと予想できていたが、神楽はあえて声に出した。すると沖田はキョトンとした顔になったあと、「サイズは?」と神楽に尋ねてきた。まさか本当に選ぶ気なのか、と驚きながらもサイズを告げる。

「待ってろ」

 言い捨てるようにして沖田が行ってしまうので、お言葉に甘えて神楽は近くに置いてあった丸椅子に腰かけて待つことにした。真選組の制服は目立つ上に、それが女性用の靴コーナーにあると人目を引くが、気にせず売り場をウロウロしている沖田の姿が見えて、あいつスゲーな、と神楽はよくわからない感心をしてしまった。

 しばらくして神楽の元に戻って来た沖田は、めぼしい靴をいくつか見繕ってきたようで、片方だけの靴を両手にひとまとめにしている。

「とりあえず全部履いてみろィ」

 靴を抱えた両手を持ち上げてみせるので、神楽は手を差し出した。だが、靴はいつまでたっても沖田から手渡されない。

「……履くんじゃないアルか?」
「テメーは座ってろ」

 その場にしゃがみ込んだ沖田は手持ちの靴を床に並べると、椅子に座っている神楽を見上げてくる。

「足出せ。履かせてやっから」
「いいヨ。自分でできるネ」
「いいから」

 ほら、と顎をしゃくって沖田が促す。椅子から立ち上がろうとする神楽を制したその目は据わっていて、こういう時の沖田は何を言っても納得しないことを神楽は心得ていた。
 もうどうにでもなれと思って神楽が片足を出せば、がっちり足の両脇をホールドされる。目にも留まらぬ早さで靴が脱がされて、ギャーッ!と悲鳴が出そうになった。

「ちっせえ足」

 さっきサイズ聞いた時も思ったが、と呟いて、神楽の素足を沖田がまじまじと見つめてくる。

「あんだヨ、文句あっか」
「そうは言ってねえだろ。なんでオメーは喧嘩腰なんでさァ」

 沖田が呆れたように溜息を漏らすが、一方の神楽は実はそれどころじゃなかった。今のは照れ隠しにわざとぶっきらぼうに言ったのだが、バレていないようで良かったと思う。
 沖田の手が靴を脱がしにかかる時、神楽の脳裏には、足首を掴まれた先日のことが自然と思い出された。あの時の感触や力加減が甦ってきたせいで、神楽の心臓は先ほどからバクバクと騒々しい。
 そうでなくても、今だって沖田の骨ばった指が神楽の足首と足裏に添えられているので、くすぐったいやら触れられた部分が熱いやらで神楽はもういっぱいいっぱいだった。

「まずこれだな」

 沖田の平坦な声を聞くかぎりでは、幸い神楽の動揺は悟られていないとわかる。真っ赤に染まった顔色を見ればすぐに気づきそうなものだが、今の沖田は神楽の足元ばかりに注意がいっているようだった。
 そんな沖田が選んだのは先端が三角に尖がった黄色の靴だった。光沢のあるそれは大人っぽい印象を受ける。一度は履かせてみたものの、どうも気に入らなかったのか、眉をひそめた沖田は靴をすぐ脱がせてしまう。
 その際に、沖田の指が足の甲を撫でるみたいにするので、神楽はビクッとして目を瞑った。ゆっくり薄目を開けて確認すると、沖田が眉ひとつ動かしていないのを知る。意識してんの?と囃し立てられるより何倍も良かったが、なんだか自分一人だけで大騒ぎしているようでちょっと悔しかった。

「次これ」
「こっち履け」
「次はこれな」

 つるつるした表面の紫色の靴、ゴワゴワした皮靴。さまざまな靴を神楽は履かされたが、触れてくる手の感覚と温度がいつまでも慣れなかった。
 次に履いたのは練乳色をした靴だった。足の甲が出ているサンダルのような靴は、やわらかい素材で神楽の足にフィットした。足首を固定するヒモが太いので脱げる心配はなく、靴底も分厚いので、これならすぐ履き潰してしまうこともなさそうだ。

「どう?」

 何個か靴を試して、ここで初めて沖田が神楽にお伺いを立ててきた。一目で気に入ったので、神楽は素直に頷き返す。

「これいいネ。かわいいアル」
「……じゃあこれ買ってくる」

 言うが早いか、鮮やかな手つきで靴を脱がしてしまうと、沖田は靴のコーナーに戻ってもう片方を回収して、その足でレジへ直行した。支払いを済ませた靴はあっという間に箱に仕舞われて、紙袋に入れたそれを沖田が持った。

「あー疲れたァ」

 自動ドアを抜けるなり、靴屋を背後にして沖田が深く息を吐き出してみせる。

「どこにお前の疲れる要素があったアルか」

 広げた傘の日陰の下で神楽は顔をしかめた。ずっとドキドキしていた自分のほうがよっぽど疲れている、とは思うだけで口にしない。

「いや、慣れねェことはするもんじゃねーなって」
「慣れない?」
「そう。やっぱテメーで履けばよかったんでィ」
「でもお前がやりたいって言ったのヨ」
「そーだっけ」
「忘れんな」

 見れば、沖田はうんざりしたように眉根を寄せていた。Sを称している人間としては、誰かに靴を履かせるというシチュエーションは苦手だったのかもしれない、と神楽は考える。だったら、なぜあんな頑なに靴を履かせようとしたのだろう。それが神楽にはさっぱり分からなかった。

「ねえ」
「なんでェ」
「それ履きたいアル」
「あー、俺も疲れたし、丁度いいからあっちのベンチ座るか」

 沖田が指差す方向には心当たりがある。この通りを真っ直ぐ行けば駄菓子屋があって、店前に設置されたベンチのことも神楽は知っていた。
 じゃあこれ、と沖田から紙袋を渡されて、ぱちぱち瞬きを繰り返して神楽が見つめ返す。

「なに、履くんじゃねーの?」
「履かせてくれないアルか」
「………お前、」

 なぜだか沖田は悔しげに言葉に詰まっていた。ちょっとふざけて言ってみただけなのに、そんな反応をされるとは神楽も思っていなかった。疲れたと言っていたが、靴を履かせる気力すらないのだろうかと神楽は不思議に思う。
 目の前の沖田は本当に弱りきった様子をしているので、神楽はわかったと納得した。

「わかったアル。じゃあ、私はこれ履いてるからお前は酢昆布買ってこいヨ」

 靴だけじゃなく酢昆布まで買わせるのか、と愚痴を吐かれそうだったが、沖田にしては珍しく素直に従うらしい。早足で駄菓子屋へと向かって行く。
 その真っ黒い背中を眺めながら、沖田が自分に靴を履かせることはもうないかもしれない、と神楽は思うのだった。
 それがなんだか残念な気がして、そして残念だと一瞬でも考えた自分が恥ずかしくて、神楽はぎゅっと腕の中の紙袋を抱きしめた。


***

 駄菓子屋の軒下のベンチに腰掛けて神楽が待つことしばらく、ビニール袋をガサガサ言わせて沖田が駄菓子屋から出てきた。

「ほらよ」

 ベンチの正面に立つ沖田から袋が手渡される。中身を確かめれば酢昆布が五個入っていて、太っ腹!と神楽は思わず声を上げる。

「ん」

 酢昆布をゲットした上機嫌さをそのままに、神楽は白い靴を履いた両足を沖田の前に突き出した。靴屋で一度試しに履いたはずだが、沖田は今ここで初めて目にするみたいにジッと神楽の履いた靴を眺めた。それから、目尻をふっと緩めて沖田が笑う。

「おう、似合ってんじゃねーか」
「ニヤニヤすんな。なんか気持ち悪いネ」
「一応彼氏に向かって気持ち悪いはないんじゃねェの」

 撤回しろとばかりに唇を尖らせる沖田だったが、その目がひどく優しいのを神楽もちゃんと知っていた。嬉しいんだろうなと誰が見てもわかる顔で、沖田が熱っぽい視線を神楽に送ってくるから、照れ隠しのつもりで「気持ち悪いアル」と神楽は重ねて言った。

「仕方ねーだろィ」

 いったい何がそんなに嬉しいのやらと神楽が思っていると、言い訳じみた言葉が沖田の口から吐かれる。

「惚れた女が俺の選んで買った靴履いてんだぜ。それってなんか、チャイナが俺のもんだって感じがすんだろィ」
「っな、ばっ…っ!」

 喉奥で息がつまってカッと頬が凄まじい熱を持つのを神楽は自覚した。沖田が照れた様子もなく真顔で言い放ってみせるので、それが余計に恥ずかしかった。
 誰がお前のもんだ!と神楽が返すより先に、沖田は歌うように続けた。

「手ェ出すなって隊の奴らに牽制するより、こっちのほうがよっぽど独占欲満たされるってもんでさァ」
「あーーッ!お前、アレやっぱり確信犯だったアルか!」
「たりめーだろィ」

 神楽がハッと瞠目すると、沖田は反省のかけらもないドヤ顔を披露した。その顔を蹴り飛ばしてやりたい衝動に駆られるが、今考えなくちゃならないのは屯所のことだ。先日の沖田の発言によって、屯所の人々のおかしな態度はきっと今も健在なんだろうと考えて、どうしたもんかと神楽は頭を抱えた。

「一つ聞いていいアルか」
「どーぞ?」
「つまり、さっきお前が言ってたドクセンヨクってゆーのは、これで満たされたってことアルな」
「まァだいたい」
「よし。だったら早く屯所の奴らの誤解とくがヨロシ」
「いや無理じゃね?」

 ひょいと肩を竦めて「だって誤解じゃねーからなァ」と沖田が言う。いいやこれは誤解だ、お前が変な言い方をしたせいで面倒な事になっているんだと神楽は額に青筋を浮かべた。

「そんなに嫌なのかィ」
「嫌っていうか、普通に接してほしいだけヨ。お前がなんとかしないなら、私もう屯所には行かないアル」

 突っぱねるように言えば、神楽がすっかり不貞腐れているのを沖田も理解したらしい。仕方ねェなと言って、これみよがしに沖田がため息をつく。

「屯所の奴らには俺がうまいこと言っとく」
「ホントだろーな。男に二言はないアルヨ」
「ああ。だからオメーも、せっかくその靴買ってやったんだから、屯所来る時は次からそれ履いて来いよ」

 これが交換条件だと言うようなそれに、神楽はちょっと迷ってから横に首を振る。「はァ?」と沖田が目を見開くので神楽は慌てて弁解した。

「あっ、この靴が気に入ってないってわけじゃないネ。あんまり履いて汚しちゃうのが嫌なのヨ」

 神楽は以前履いていた靴がボロボロになったのを思い出して、沖田に買ってもらったこの靴も同じ運命を辿るのかと思うと忍びなくてならなかった。だから、履くペースを落とせば靴の寿命も長くなるんじゃないかと考えたのだ。そんな思いを知ってか知らずか、沖田は何でもないような顔で話を受け止めている。

「なんでェ、そんなことか」
「そんなことって何ネ」

 大切な靴が汚れてしまうことを「そんなこと」で片づけられて、神楽がムキになって言い返すと沖田は怪訝な顔をした。

「オメーが遠慮なんてするタマだったか」
「なにが言いたいネ」
「下手に気ィ使う必要なんてねーって言ってんだ」

 沖田がちょんと神楽の両足を指さすので、導かれるように神楽も買ったばかりの白い靴を見つめた。

「デート用の靴なんだろ」
「……そうヨ」

 デート云々というのは靴屋に出かける前、沖田を説得するために自分で言ったのだが、神楽は少し恥ずかしさを覚える。それでも今は、眼前の沖田が真っ直ぐに見つめて話すので、ここはしっかりと頷いた。

「だったら、俺と会う時はいつもそれ履いて来い。そりゃあ、いっぱい履けば汚れるが、こればっかりは気を付けてもどうしようもねェよ。どうしようもねえんだったら、好きなだけ履いてやった方がいいだろィ」
「……そうアルな」
「ああ。いっぱい履いて、そんでまたボロくなったら、俺がまた靴買ってやらァ」

 そんなことを言う沖田の目は優しいものをしていて、神楽は意地を張ることもできずに、ただただ素直に頷くしかできなかった。

「……言い忘れてたアル」
「あァ、なに?」
「靴買ってくれてありがとアル」
「おー」
「あと、お前の言う通りアル。好きなだけ履いて、この靴もすぐボロボロにしてやるネ」
「なんか、俺の言ってんのと違くね」
「大事にしろって事でしょ。わかってるアル」
「ホントかよ」
「うん」

 眉をひょいっと上げて沖田が訝しむので、神楽は強く頷きを返して、ベンチからこぼれた足をぶらぶらさせた。
 これはデート用として買ってもらった靴だ。しかしそんなの構わずに、これからも神楽は沖田とかけっこや喧嘩をするので、そのうち靴は汚れたり擦り切れてしまうことだろう。せっかくの可愛い靴を汚してしまうのは悲しいが、沖田の言うとおりだ。この靴も、前の靴みたいにグズクズになるまでたくさん履いてやろうと思う。
 白い靴から沖田へと視線を戻して、神楽はにっこり笑った。

「大事に履いて、大事にボロボロにするアル。だからその時はまた靴買ってヨ」
「なんだそれ」

 小さく笑ってから、沖田が手を差し出してくる。神楽は迷うことなくその手を取って、引き寄せられるみたいにベンチから立ち上がる。
 酢昆布と傘と、仕事用の靴が入った紙袋を一気に抱えると、荷物が一気に増えて大変だったが、神楽の足取りはびっくりするくらい軽い。
 大事にするアル。
 沖田と自分に言い聞かせるように、もう一度そう神楽は呟いた。


#原作
靴は消耗品 '140202~140211
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