(夜勤)明けましておめでとう

ネオンの明かりも届かないほどの冷たい暗がりに入り込んでいたつもりだった。だから、にわかに白く照らされた視界にハッと息をのむ。驚いて光の差し込む方向を振り返れば、入り組んだ路地の隙間に夜明けの瞬間を見た。
 暗闇に慣れた目には夜明けの眩しさが痛いほどで、思わず目を細めた。一仕事終えたあとの高揚を抱いたまま、しばらく茫然としていた。

「……もしもし。俺です」
 携帯電話を耳に押し当てながら、沖田は薄く息を吐いた。白くなる息は湯気みたいに見えるけれど、そんなことを思ってみたところで空気がひどく冷たいことには変わりない。今朝はずいぶん冷え込んでいる。雪に降られるよりずっとマシかもしれないが、寒空の下で容赦なく風が全身に吹きつけるので沖田の頬や手はすっかりしもやけてしまった。鼻先はきっと真っ赤だろう。鏡を見なくても分かる。
「今終わったとこでさァ」
『そうか』
 事務的な応答のあと、それから少し間を置いて、
『お疲れさん』
 と、電話の向こうにいる土方からねぎらいの言葉が飛んでくる。その声には隠し切れない疲労が滲んでいるのが分かった。
 鬼の副長なんて肩書きがあったところで、夜通し働き通せば誰だって疲れるのが当然であるし、彼はまさしく人間なのだろうと沖田は思う。その事実にどこか安心している自分がいる。それが可笑しくてたまらない。
 殺したいと願う相手がちゃんと人間であることに安堵しているとでも言うのか、沖田の口から思わず苦笑がこぼれる。
 夜通し働いていたのはなにも土方だけではない。クタクタなのは沖田も同じである。大晦日の昨日はテロ事件の解決に一日中追われていて、人命救助やら犯人逮捕やら、ようやく事態が収拾した頃には年を跨いでしまって今に至る。
 疲労困憊とはまさにこの事だ。全身が疲れを訴えている。腹も減っていれば、強い眠気にも襲われている。ただ息を吸って吐いているだけで人は生きていけない。それを面倒な生き物だと嘆いてみたくもなる。
 しかし、このような止め処ない生理的欲求は生きている証だとも言える。
 そう考えると、土方が人間だったように沖田自身もまたそうなのだと、やはり心のどこかで安堵していた。
「それじゃあ俺は適当にタクシー拾って帰りまさァ。……あァ、パトカーなら原田一人乗っけて見送りやした。もうそろそろ屯所に着く頃じゃねえですかィ。なんで俺だけタクシーで帰るかって? いやいや決まってんでしょう、新年早々こんな仕事回されたら誰だって逃避行したくなるでしょうよ。どうか探さねえでくだせえ」
「探さねーよ」
 と、打てば響く早さで返される。でしょうねえ、と返す沖田は無表情に、それでいて楽しそうに続けた。
「行き先は……そうですね。ちょっと日本の夜明けまで」
『一体どこだよそれ』
「さあ、俺も分かりやせん」
 そんなもんあるのか分かりませんが。
 だけど、夜明けなんてものがこの国に来るとしたら、それはもうすぐですよ。たぶん。
 未来予知なんて大それたものじゃないけれど、沖田は思いついたまま言葉を口にした。
 初日の出を見た時の、あの高揚を沖田はそっと胸の奥から取り出してみる。血生臭い夜が明けて、今は沖田の世界を白い光が満たしている。そういう夜明けが、いつかこの国にも来ればいいと思う。 
 我ながら柄じゃないことを考えている自覚はあったので、痛いくらい澄んだ早朝の空気を吸い込んで、一息に吐き出すみたいにケラケラ笑ってやる。
 電話の向こうは呆れているようだった。
『逃避行だろうが何だろうが、ほどほどにして早く帰って来い』
 てっきり早く屯所に戻るよう言われて、報告なり始末書なり急かされると思っていたが、どういうわけか電話の相手は沖田を止めようとしなかった。沖田が目を丸くしていると、
『近藤さんも待ってるぞ』
 などと言えば沖田が心変わりすると本気で思ってるらしい土方には困ってしまう。
 そして、その言葉を受け入れてしまいそうな自分にも困り果てる。
 電話で話した通り、日の出を見たあとの高揚感が沖田をタクシーでどこか遠い海にでも連れ出すはずだった。
 だが不思議なことに電話の向こうで近藤の名前を出された途端、早く屯所に帰ってあの快活な笑顔に出迎えられたいと思ってしまった。なんてことだ。これじゃあ土方コノヤローの手の内じゃないかと悔しく思う。
 早く帰りたいと願うのは紛れもない、沖田の中に存在する真実だ。
 きっと、自分の世界にとって夜明けの象徴なのだろう。
 あの人はもちろん、あの人を中心とした集団、自分、そして電話の相手も、全部ひっくるめて。
「逃避行と言ってもすぐですぜ。適当に切り上げて、早めに帰りやす。タクシーのメーターぶん回すんで覚悟してくだせえ。領収書はアンタの名前で切ってやる」
 心変わりを悟られる前に早口に告げた。このまま電源を落としてしまおうかとボタンに指を添える。だがすぐに思い直して、あちらの返答を待たないうちに、
「明けましておめでとうごぜーます、夜勤」
 そうして今度こそ携帯電話の電源をブチ切る。
 これでいい。今年もよろしくなんて言ってやらないし、これまでの人生で一度も言ってやったこともない。
 せいぜい死なないように気を付けるこった、と誰に言うでもなく呟いて、隊服のポケットに携帯電話と両手をつっこんだ沖田はタクシーを見つけるべく街中を歩き出した。
 早朝という時間でも江戸の街中を行く人々は多い。初詣にでも行くんだろう。神社のあるほうを目指す人々の波に逆らうように沖田は歩き続ける。夜勤明けのひどい顔をした自分は、正月のにぎやかな空気からあぶれている。
 なんというか、夜勤から始まる一年というのは残念過ぎるような気がしてならない。あくびを一つ落としながら、沖田が思うことがそれだった。新年早々こんな始まりだとしたら今年は一体どんな一年になるんだろう。嫌な予感しかない。
 どうせ去年以上にろくでもない年になるのだろうと沖田は考えて、自分の周囲にはろくでもない連中しかいないのだから仕方ないと諦めることにした。
 ろくでもない一年が明けて、また同じくらい(あるいはそれ以上に)ろくでもない一年がやってくる。
 それはどんな夜にも訪れる夜明けのようだとも沖田は思う。

#原作

2015年1月2日
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